こんにちは。歴史漫画が面白いです。くらげです。
「伊達政宗」って何をした人か分かりますか?
正直僕は良く分かっていなくて、物語に出てきてもピンと来ていませんでした。
最近、横山光輝先生の漫画「伊達政宗」を読み、
何となくわかってきたので、ここにまとめようと思います。
一言で言うと、「戦国時代のNo3」ですね。
それでは、記事にまとめていきます。
伊達政宗は戦国時代No3!
約100万石に届きそうな大名でした。
地理的に、秀吉/家康と奥州で
北条家を囲んだ形となります。
そのため、天下取りの中心に参加しやすい立場だったのでしょう。
若い頃に奥州を統一してからは、
秀吉や家康との交流も多いです。
伊達政宗はその頭脳で奥州を統一
戦上手でした。若いうちに小競り合いを続けていた奥州を統一します。
若い頃は
・病気で右目を無くしたり
・政宗のお父さんが人質に取られたり
・お母さんから殺されかけたり
といった逸話も残っています。
地理的に、天下取りに近い位置に領地を持っていました。
そのため、当時の天下人「豊臣秀吉」に警戒され、
領土の周囲に「秀吉側」の武将を配置されていました。
それほど、政宗の力は強かったでしょう。
朝鮮出兵で大活躍!
秀吉に警戒されながらも、政宗は朝鮮出兵で成果を上げます。
知略/謀略 いろいろあっても、結局成果を上げる人が後世に名を残すのだなと思います。
その後、石田三成が伊達をものすごく警戒します。
秀吉に嘘つきます「伊達政宗が謀反を計画してるっぽい」って。
政宗もキレて、豊臣家と戦じゃ!コラァ!ってなるんですが
家康が間を取り持ってくれました。
その辺のこともあって、家康との間に親戚関係を持ちます。
この結婚にまた、石田三成がいちゃもんつけ始めるんですよね…
関が原で家康側につく
関ヶ原の戦いでは、政宗はもちろん、親族の家康側につきます。
が、政宗は関ヶ原の戦いが起こっている間に、北陸で一揆を扇動しました。
農民の反乱軍ですね。
「反乱軍鎮圧のために」って言い訳して領土を拡大しようと狙っていました。
しかし、なんと関が原の戦いは半日で終わっています。
数か月かかる目論見だった政宗は、北陸の領土を広げるのに失敗しました。
更に、家康に一揆の扇動がバレてしまい、
100万石もらえるはずだった土地が、約60万石ほどになってしまいました。
まとめ:関が原次第で、伊達政宗が天下を取る可能性もあった
まとめます!
- 伊達政宗は戦上手。奥州を統一した
- 家康とも親族関係にあった
- もし、関ヶ原の戦いで家康家/豊臣家が疲弊したら、次の実力者は伊達政宗だった。
伊達政宗は一揆の扇動をしたりと、すごいことをする人ですね。
ただ、「何でも有り」の戦国時代で、当時No3まで家を拡大したのは、相当な実力者だったのだと思います。
戦国無双をやる際の見方が変わりますね。
では!
くらげ
コメント